今治城

(いまばりじょう)
愛媛県     
城
   

愛媛県今治市通町にあった城。1602年(慶長7年)、築城の名手、藤堂高虎が築城。三重の堀には海水を導入した海岸平城であった。日本三大水城の一つに数えられている。日本100名城(79番)の一つ。別名、吹上城、吹揚城。
藤堂高虎は、関ヶ原の合戦では、福島正則と共に徳川軍の先陣で活躍。その功で12万石加増され、伊予半国20万3千石の大名で国府城に入城。発展性に乏しい山城の国府城を捨て、軍事的に要地で、且つ海陸の交通や経済発展にも便利な、20万3千石の大名に相対しい城郭と城下町を建設するため、城域を越智平野中央の今張に定めた。高虎はその時に「今張」を「今治」と改め、その意欲を示したといわれている。 高虎は慶長11年に江戸城縄張の功で備中に2万石加増され、22万3千石となった。 また慶長10年に松寿婦人と嫡子高次を江戸に移りすまわせ、これが後の参勤交代の基になったといわれている。 現在の今治城天守閣は、昭和55年今治市制施行60周年記念事業として再建されたもの。
今治城

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