赤穂城

(あこうじょう)
兵庫県     
城
   

兵庫県赤穂市にあった城。1648年、浅野長直が築城。銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。浅野長矩の代、「忠臣蔵」の物語として有名な刃傷沙汰が起こる。日本100名城(60番)の一つ。
赤穂城の縄張りは、輪郭式縄張りで本の丸と二の丸を同心円状に置き、北に三の丸を配置している。 曲輪の配置よりも赤穂城は、山鹿流の甲州流軍学による縄張りとして有名で、折れや斜(ひずみ)を塁線に多用した複雑な縄張りだ。 浅野長直・長友・長矩と続き、元禄14年に浅野長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央に刃傷に及び、即日切腹。播州浅野家は断絶となった。元禄15年12月、大石内蔵助えお始めとして47名が、吉良邸に討ち入る。
赤穂城