二本松城

(にほんまつじょう)
福島県     
城
   

福島県二本松市郭内にある城。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれる。室町時代中期に奥州探題を命じられた畠山満泰が築造し、以後畠山氏歴代の居城として、140年余り続いた。その後天正十四年(1586)伊達正宗の南奥制覇のために落城した。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となった。日本100名城(11番)の一つ。
現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、石垣と再建された箕輪門がある。山上の本丸には天守台、石垣が近年になって再構築された。また、城の入り口には二本松藩7代藩主・丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、一夜のうちに自然石に藩政改革と綱紀粛正の指針を刻ませた「戒石銘碑」があり、1935年(昭和10年)に「旧二本松藩戒石銘碑」として国の史跡に指定されている。
二本松城