湯築城

(ゆづきじょう)
愛媛県     
城
   

愛媛県松山市道後町にあった城。1334-38年(建武年間)、伊予の守護河野通有の八男通盛によって築城されたと伝えられている。通盛は、河野氏の拠点であった風早郡河野郷(現在の北条市)からこの道後の地に移り、伊予国の政治・経済・文化の中心として以後約250年にわたって栄えた。日本100名城(80番)の一つ。
河野氏の居城であった湯築城跡には、明治に道後公園が設置された。 戦国時代末期の天正13年(1585)、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めに遭い、秀吉の命を受けた小早川隆景の攻撃を受け、13代河野家当主通直は秀吉軍に降伏した。 1587年(天正15年)、福島正則が城主となるが、正則が国分山城に居城を移したため、廃城となった。
湯築城