小谷城

(おだにじょう)
滋賀県     
城
   

滋賀県長浜市湖北町伊部にあった城。1575年(天正3年)、浅井亮政が築城。浅井家3代50年あまりにわたって小谷山全域に築かれ、日本五大山城の一つに数えられる。浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い。日本100名城(49番)の一つ。
浅い亮政(すけまさ)・久政(ひさまさ)・長政(ながまさ)の三代にわたって、小谷山全域に築かれたわが国でも屈指の規模をもつ中世城郭で、日本五大山城の一つに数えられる。 浅井家は、三代にして50年あまりで滅んでしまいましたが、長政とお市の方(織田信長の妹)との間に生まれた三人の姫は、成人して、長女の茶々は豊臣秀吉の側室<淀君>として、次女の初子(お初)は大津城主京極高次に嫁ぎ、三女の達子(お江)は徳川二代将軍秀忠の夫人となり、家光(三代将軍)・忠長・千姫・東福門院(後水尾天皇中宮)等を生み、何れも日本の歴史の一こまをかざるとともに、後世に名を遺した。
小谷城